沖遠く入日の影をしたふまに
はやさしのぼる山の端の月
| 外護者の山田静里翁(方寸居,薬種商,山田甚次郎)に誘われて 閻魔市を見ての帰りに納屋町(現・東(西)港町)の砂丘に立って 夕涼みをしながら詠んだ歌。 夕日の刻々に変わり行く様を見ながら、その美しさに見とれ 「極楽浄土もこんなに美しい物か?」と会話しながらふと振り返ると、 鏡ヶ沖遠く山の端に月がのぼりかけてきたという。 |
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あまの子はさくら貝をやひろふらん
なみの花ちるいそつたひして
| 歌集「もしほ草」の最後に載せてある春ノ浦の項にある歌。 若き日閻王寺で、心眠,眠龍姉妹尼との三人暮らしの生活の中で、 托鉢の折りに浜づたいに歩きながら淡紅色の桜貝を探し、 それに託した若き日の夢を詠んだものであろう。 この歌集「もしほ草」は晩年お世話になった 極楽寺の静誉上人に贈られ、 現在も寺宝として極楽寺に大切に保存されている。 |
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かりそめの草の庵もことの葉の
花さく宿となるそ嬉しき
| 釈迦堂が八木治右衛門寄りの出火で四月二十一日(一八五一年)類焼した。 ちょうどこの時貞心尼は長岡へ行っていて不在、報せで急きょ帰柏し、 焼け野原となった町を見て作られたのが「焼野の一草」である。 一時広小路の観音堂に住したが、歌友山田静里翁達によって不求庵を作ってもらい 住するようになり、その時々に催される歌会の様子を詠んだものである。 |
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おのつから心もすめりくもりなき
鏡か沖の月に向かへは
| 広小路の不求庵の前面には、蓮田が向山迄続いている鏡ヶ沖であり、 その水面にうつる清らかな月を詠んだもの。 自らの心のうちも澄んでいる貞心尼の自然賛歌である。 |
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いつまでもたへぬかたみとおくるなり
わが法の師のみづくきの跡
| 師良寛の書いたものを所望されて人様に差し上げる時には、 必ずこの歌をしたためたものを書き添えていたという。 この手紙も内容が少し異なるものの、現存しているものが幾通りかある。 |
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露の身のあまりてけふはうれしさの
おき所なき草の庵かな
| 外護者山田静里翁や歌友によってえ作り贈られた不求庵を、 嬉しさのあまりに感謝の意を込めて詠んだ歌である。 |
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朝けたくほとはよのまにふきよする
木の葉や風のなさけなるらむ
| 師良寛の「たくほどは 風のもてくる 落ち葉かな」が好きで、 貞心尼が木枯らしの止んだ朝にふと心に浮かんだ 詩情を自然に歌にしたもの。 貞心尼は、良寛さまの歌のように 悟りの道に入っておられたように、 自分も世の中の事にこだわらぬ 清澄な悟りの道に入ったような嬉しさを表わしている。 |
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うたやよまむてまりやつかん野にやてむ
きみがまにまになしてあそはむ
| 良寛さんに「こんなのどかな春の一日、家の中にいてもつまらぬが、 そうかといって身は一つ何をしてのどかにすごしましょうか。」 と問い掛けて詠んだもの。 歌もよまむ 手まりもつかむ 野にも出む 心一つを さだめかねつも の歌がある. | ![]() |
きて見れば 雪かとばかり ふるさとの
庭のさくらは ちりすぎにけり
| 歌集「もしほ草」の中におさめられている歌で、 弥生の末つ方貞心尼の故郷長岡を訪れた時のもので、 桜の花も見頃を過ぎて風は舞い散り、 あたかも雪が地面を覆っているかのように見えた情景を歌い、 幼き頃の思い出をこめての情感を表わしたものである。 |
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かきおくも はかなきいその もしほ草
見つつしのばむ 人もなき世に
| 歌集「もしほ草」の最後に貞心尼が 此の歌集についての自分の思いを歌ったもので、 此の歌集は極楽寺の和尚静誉上人に 自分の今までのお世話になったお礼の心をこめて、 かたみとしておくったものである。 |
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秋もやや 夜さむになれば はたおりや
つづれさすてふ むしのなくなり
| 此の歌は「もしほ草」の中にあり、 此の歌のもととなるような良寛の歌である 「秋もやや夜さむになりぬ わがやどに つづれさすてふ 虫のこえする。」に 酷似しているのがよくわかる。 此のように貞心尼さんの歌は、 師としての法の道のみならず歌の様式までも良寛の心を そっくりとり込んでいるのである。 |
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あとは人 先は仏にまかせおく
おのが心の うちは極楽
七十五才 貞心尼
| 此の歌は貞心尼さんの辞世の句の心算で, 七十五才の正月によんだものでえ、 心のうちから仏道に悟りを開いた心境を表しているものであり、 私達も此のように生きたいものである |
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